11.24.19:14
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10.03.18:29
訓練校において意見は通るか?
職業訓練校における人間関係などは、いわばゲーム理論と捉えていいだろう。
すなわち期間限定のゲームなのである。
ホーソンの工場実験は有名であるが、インフォーマル集団の人間関係が良好であれば
生産性が上がるというものである。
私は人間関係までも職業訓練校で学ぶべきと考える。
万が一にも法や道徳に触れない範囲内において実験的な行動をとってみるのも良いだろう。
会社においてはイエスマンにならざるを得ない。しかし訓練校においては自己主張もありである。
否応無に30代にもなれば行政を含めた社会の歪が見えてくる。
公平性を主張して何が悪かろう。まして行政が公平で公正であるのは当然である。
そこで今回、新しいパソコンが5台導入された。誰が割り当てられるかにおいて、機会均等を主張してみた。
果たして結果はどうなるのであろう。
公務員の多くは自分は末端の職員だから・・・という意識で仕事をしているが国民(住民)はあくまで、
その公務員の発言は国の発言であり都道府県の発言であると捉える。
最終的な結論はでていないが現時点においては、残念なことに見栄えを気にしているのである。
雇用能力開発機構は廃止の方向で進む中で、課長職は世間の職業訓練校の評価を最優先にしているのである。
機会均等よりも見栄を優先して、訓練生の公平性をないがしろにして、訓練校見学者によく見えるように通路側に新しいパソコンを並べると主張している。現状において名前五十音順に番号を振り、そのとおりにパソコンを割り当てられている。即ち、窓側が1番とすれば必然的に通路側は五十音順の後尾となるのである。
見えるところのパソコンを全て新しくして、あたかもパソコン室全体がそのパソコンを使用しているかのように見せるということである。見学と言う情報公開に逆行する顕著な例である。
これは民間の悪いところを行政に持ち込んだ最悪の例である。行政において民間経験者採用を行う時代になったが民間の悪を行政に取り入れてどうするのであろうか?
見学者が疎らな配置のパソコン室を見て質問があった場合に、くじ引きによりパソコンを割り当て、公平で公正になるように機会均等にした結果であると公務員は答えるべきではないだろうか?
(10/10追記)
結果として配置は見栄えを良くだが、新パソコンの席に誰がつくかは公平になりました。
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