11.28.16:42
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10.03.18:29
訓練校において意見は通るか?
職業訓練校における人間関係などは、いわばゲーム理論と捉えていいだろう。
すなわち期間限定のゲームなのである。
ホーソンの工場実験は有名であるが、インフォーマル集団の人間関係が良好であれば
生産性が上がるというものである。
私は人間関係までも職業訓練校で学ぶべきと考える。
万が一にも法や道徳に触れない範囲内において実験的な行動をとってみるのも良いだろう。
会社においてはイエスマンにならざるを得ない。しかし訓練校においては自己主張もありである。
否応無に30代にもなれば行政を含めた社会の歪が見えてくる。
公平性を主張して何が悪かろう。まして行政が公平で公正であるのは当然である。
そこで今回、新しいパソコンが5台導入された。誰が割り当てられるかにおいて、機会均等を主張してみた。
果たして結果はどうなるのであろう。
公務員の多くは自分は末端の職員だから・・・という意識で仕事をしているが国民(住民)はあくまで、
その公務員の発言は国の発言であり都道府県の発言であると捉える。
最終的な結論はでていないが現時点においては、残念なことに見栄えを気にしているのである。
雇用能力開発機構は廃止の方向で進む中で、課長職は世間の職業訓練校の評価を最優先にしているのである。
機会均等よりも見栄を優先して、訓練生の公平性をないがしろにして、訓練校見学者によく見えるように通路側に新しいパソコンを並べると主張している。現状において名前五十音順に番号を振り、そのとおりにパソコンを割り当てられている。即ち、窓側が1番とすれば必然的に通路側は五十音順の後尾となるのである。
見えるところのパソコンを全て新しくして、あたかもパソコン室全体がそのパソコンを使用しているかのように見せるということである。見学と言う情報公開に逆行する顕著な例である。
これは民間の悪いところを行政に持ち込んだ最悪の例である。行政において民間経験者採用を行う時代になったが民間の悪を行政に取り入れてどうするのであろうか?
見学者が疎らな配置のパソコン室を見て質問があった場合に、くじ引きによりパソコンを割り当て、公平で公正になるように機会均等にした結果であると公務員は答えるべきではないだろうか?
(10/10追記)
結果として配置は見栄えを良くだが、新パソコンの席に誰がつくかは公平になりました。
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10.10.19:14
人間関係2
既に専門校の全期間の3/4が過ぎた。
人は悲しいかな、仕方なく協調する動物なのだと思う。
そうやって3/4を過ごした期間は抑圧されていたと考えることができる。
GOALが見えてくると、自己主張が強くなる傾向があるようだ。
どうせ、あと半年という打算が働くし、職場でないため人間関係も疑似体験的である。
前職の経験から自分は交渉のプロという意識を持って回りを見ているが結構、面白い。
「技能も人間関係も失敗は訓練校(練習の場)でしておけ」という教訓を後に続く方にお伝えしたい。
交渉事が仕事である世界の人間関係の厳しさは強烈である。
それに比べたら、訓練校はお遊びみたいなものなのだから、
自己主張のタイミングなどを実験しておくと良いだろう。
また学校*というところは嫌な同僚と付き合わなくても良いという特権があるのも事実である。
これが上司であれば翌日、自分から愛想笑いで話しかけていたであろう。
部下であれば・・・部下が上司のペン回しに難癖をつけることは有り得ないか・・
*法的には学校ではなく、身分も学生ではない
人は悲しいかな、仕方なく協調する動物なのだと思う。
そうやって3/4を過ごした期間は抑圧されていたと考えることができる。
GOALが見えてくると、自己主張が強くなる傾向があるようだ。
どうせ、あと半年という打算が働くし、職場でないため人間関係も疑似体験的である。
前職の経験から自分は交渉のプロという意識を持って回りを見ているが結構、面白い。
「技能も人間関係も失敗は訓練校(練習の場)でしておけ」という教訓を後に続く方にお伝えしたい。
交渉事が仕事である世界の人間関係の厳しさは強烈である。
それに比べたら、訓練校はお遊びみたいなものなのだから、
自己主張のタイミングなどを実験しておくと良いだろう。
また学校*というところは嫌な同僚と付き合わなくても良いという特権があるのも事実である。
これが上司であれば翌日、自分から愛想笑いで話しかけていたであろう。
部下であれば・・・部下が上司のペン回しに難癖をつけることは有り得ないか・・
*法的には学校ではなく、身分も学生ではない